桐島、会社やめるってよ

読んだ本や見た映画についてのアレコレ

『コロナと生きる』

『コロナと生きる』は思想家の内田樹さんと感染症の専門家の岩田健太郎さんの対談をまとめた本。出版されたのは2020年9月で、まだワクチンも完成されていなかったころなので、最新の情報ではないのだけれど、ひざを打つような社会への視座にあふれていて、マーカーで何度も線を引いた。

 

新書では情報が古かったり、結論ありきで話が進んで読んでいてわくわくする、という感覚を持つことがあまり多くなかったのだけど、内田先生の本はどの本をとってもインサイトフルな感じがする。こういう自分の血的好奇心が沸き立つような文章の書き手というのがいてくれて、本当にありがたい。

 

面白いなと思ったのは、なぜ日本の感染症対策が行き当たりばったりで、各施策の目指す方向性がわからないのかについて考えたところ。中国や韓国で猛威を振るったSARSや2009年の新型インフルエンザの影響が日本で小さかったのは、日本の水際対策がすごかったのではなくて、むしろ運が良かった、ということに帰結するという。それで、今回は様々な要因が重なって全世界的なパンデミックになった。SARSで身をもって学んだ中国や韓国は政府から独立した感染症対策の機関を立ち上げて、今回もシビアに対応が進んだ。

 

アメリカを見てみれば、医療サービスが公共のものではなく、市場の商品となった結果、貧困層や無保険の人々が治療を受けられなかった結果、人々に感染が広がった。結果として世界のナンバーワンの大国でいながら、ダントツの感染者を出した。しかし、その後ワクチンの開発が完了したあとは、びっくりするほど迅速に接種が進んだ結果、ある一定程度のいい結果が出始めている。一方で日本ではワクチン接種は遅々として進まず、いつになるのかもわからない。

アメリカはそもそもの建国趣旨が、「こういう国をつくりたい」というビジョンからスタートしている。だからこそ、今回の感染症対策でも、理念を作り、現実化するというアメリカの歴史が踏襲されているという。

一方、日本では、過去の法律に基づき、前例踏襲を続けている。この感染症をどうしたいのか、というビジョンがわからない。それもそのはず、厚労省の担当者は2年や3年で部署移動していくからだという。それでは確かにビジョンは生まれないし、責任の所在はわからない。日本社会の弱い部分が今回の異例ともいえる状況で露呈してしまっている。

 

考えてみれば、2011年の東日本大震災から思い返してみても、熊本地震や千葉の台風被害、北海道の地震、そして今回のパンデミックと、異例な事態が高頻度でやってくる。非常事態が常態化する社会でどう生きていくのか、考えていくためのアイデアをもらった気がする。