桐島、会社やめるってよ

読んだ本や見た映画についてのアレコレ

『アマゾンの倉庫で絶望し、ウーバーの車内で発狂した』

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書店をぶらぶらしていたときに、そのセンセーショナルなタイトルに目が引かれた本書。図書館で偶然見かけたので借りて読んでみた。

潜入バイトものといえば聞こえはいいが、現代の蟹工船的な話だった。イギリス人のジャーナリストがアマゾンの倉庫でひたすら商品をピックする仕事についたり、配車タクシーアプリであるウーバーの運転手として働くその実情に迫る内容である。

 

日本でも記者がユニクロの販売員やアマゾンの倉庫でのピッカーとしてバイトしたときの経験を書き、企業のブラックさを告発した本はあるが、本書はそれ以上に資本主義やグローバル化の厳しい現実を突き付けてくる内容であった。

 

コスト削減と効率化が絶対善として機能する資本主義社会において、怒涛の成長を見せる多国籍企業。イギリスといえば「ゆりかごから墓場まで」と言われるように、手厚い社会保障のイメージもあったが、本書では多国籍企業の労働者はイギリスにおいても企業のコストとして把握され、人間としての必要最低限な生活までも脅かされることが明かされる。特に、イギリスでは産業革命後に各地にできた炭鉱が閉山されてからが大変だった。仕事がなくなった地方には、例えばアマゾンの物流拠点が参入したり、生命保険会社のコールセンターが入った。地元住人は働き口が増えるともろ手をあげて歓迎するが、実情は最低賃金すれすれで福利厚生もままならぬ労働環境だった。それゆえに地元のイギリス人で応募する人は少ない。一方で、東欧諸国から流入する労働者はその低い賃金でも働くことを拒否しないことから、イギリス人に言わせれば「あいつら移民が我々の仕事を奪っている」。バイトとして潜入した筆者に対して、東欧出身の同僚は問う。「なぜ、あなたみたいな普通のイギリス人がこんな仕事をしているのか」

 

サッチャーの登場によってイギリスでも新自由主義の風が吹きあふれ、規制緩和が大いに叫ばれた。企業の競争力を上げれば、一般市民も恩恵を得られるトリクルダウンという名目のためになされた政策は結局企業を裕福にしただけで、国民には何も残らなかった。

企業のコスト低減と顧客満足向上の姿勢を極限にまで突き詰めたのはたぶんウーバーだろう。ウーバーによって、タクシーを使いたいユーザーは、アプリでタクシーを確実にしかも安価な値段で利用できる。アプリでの支払いがデフォルトだから、支払いに関してドライバーとトラブルになることはない。私も海外旅行のときにウーバーを使うときはあるが、言葉が通じにくい海外においては非常に心強いサービスだ。

 

しかし、ドライバーにとっては非常に厳しい制度となっている。ウーバーにおいてドライバーは自社の社員ではなく、フリーランスという位置づけである。したがって、事故や交通ルールの罰則に対してウーバー自体は何ら責任を負わないばかりか、ウーバーからドライバーに対して指示されるドライブリクエストを複数回連続して拒否すればドライバーは強制退会になるなど、報酬に対してペナルティが多すぎる。さらに使用できる車にもルールがあり、実際に車をレンタルしたり洗車や保険の費用もドライバー持ちとなる。くたくたになるまで運転したあとにドライバーに残る報酬は非常にわずかなものになる。追い打ちをかけるものとして、一般的に人は自らが払う金額の多寡によって相手に対する態度を変えることが多いという。高い金額を払う相手には敬意をもって接するが、安ければそれなりの対応となる傾向にある。ウーバーはその利用料の安さから、利用者がドライバーに対して暴言や暴力を行使する機会が通常のタクシーよりも多いといわれる。

アマゾンの倉庫バイトやウーバーのドライバーにしても、共通して言えるのは、労働者の孤立化だと思う。人々は一見すると高い報酬に飛びつくが、労働者の間にあるのは団結ではなく、むしろ競争であり、効率化のために設定された競争によって労働者は協力よりも対立を選ぶ。しかしながら、あまりに強大な企業に対して、各労働者が行使できる力はあまりに小さい。

 

日本はまだまだ規制が多く、円滑な企業活動のためにはもっと規制をゆるめていかないと企業の競争性が高まらないとよく言われるけれど(これで真っ先に想像するのは、竹中平蔵だが・・・)、その言説に無条件に首を縦に振ることは難しいと感じた。

効率化やコスト削減という名目を使って、話をする人にはその背後に経済的恩恵を狙っている者がいることを常に念頭におく必要がある。昨今では水道や教育という経済的には価値を測ることができない分野にまでその物差しを差し込もうとする風潮があるが、非常に強い懸念を抱いている。