桐島、会社やめるってよ

読んだ本や見た映画についてのアレコレ

歯医者に行った件

今日は久々に歯医者に行ってきました。

2年くらい検診してなかったし、奥歯が少し黒くなっているような気がして。

 

最初はレントゲンで口腔内をアレコレと撮影してくれます。筒状のレントゲン台に入ると頭の周りでカメラが動く。撮影中は電子音で音楽が流れたりして、SF感が強いです。

 

その後白い壁がきれいな処置室に行くと、処置台の前には大きなモニターがあって先ほどとった写真が大量に表示されている模様。自分の口腔内をこんな風にまじまじと見つめたことはなかったので、羞恥心と興味とで感情がいっぱいに。一つ一つ写真を見ながら、医師がここがこーなってるとか説明してくれて、20年前に通っていた歯医者と様子がかなり違う様子で近未来感がムンムンです。

 

20年前は、自分で手鏡をもって見ながら、歯医者が背後に立って説明してくれてたと思うんですけど、時代は変わったなあ。きっと歯医者も競争が激しいのでしょうね。

 

検診の結果、奥歯に小さい虫歯があるという指摘を受け、「まあ、そうだよなあ」という感じ。それよりも親知らずを抜くことを提案されたのと、かみ合わせの矯正をした方がいいと伝えられ「ついに来たな」という印象。

 

親知らずに関して言うと、なぜかこちらから親知らずの存在を伝えてもどこの歯医者でも抜いたほうがいいと言ってくれなかったので、「ほお、やっと指摘されたかあ」という感じ。そういう積極的な意見を言ってくれる歯医者は信頼できる感じがします。

右の上下と左の下部の計3本。これから2回にわけて抜く予定。痛いのは嫌だけど、親知らずを抜いたあとの顔がどれほど腫れるのかというのは少し興味がある。

 

かみあわせの矯正とは何かというと、私は子供のころから若干の受け口で。子供の頃も、歯科医には矯正した方がいいかもね、と言われた気もしたのですが、矯正しないまま私は30歳に。

 

あのときの伏線がここで回収されるのか・・・!と思うとなぜか「やったるぜ」という気持ちに。 

 

私の症状は「開咬(かいこう)」といって、簡単にいうと奥歯の4本でしかものを噛めていない状況らしいです。奥歯に負担がかかっているから将来的には奥歯から歯が無くなる可能性があるとのこと(恐怖)。昨今は8020運動といって、80歳で20本の歯を残しましょう、的な流れがあるけれど、開咬の人で20本歯が残っている人はいないらしいです(まじか)。

 

さらに、現在奥歯に小さい虫歯ができたり、歯肉が下がってきて歯周病になりかけているのは、奥歯にかかる圧力が強くて、詰め物がかけたりしてそこから虫歯ができるというメカニズムらしいです。もっというと、食べ物をしっかり噛めないから胃腸にも負担がかかるということらしい。歯の並びってすごい大事なのね。

 

とりあえず、今日行った歯医者では矯正はやっていないので、近所の矯正歯科にカウンセリングへ行く予定です。

 

人生100年時代。あと70年くらい生きることを考えたら、余生を楽しく生きるために今から自分の身体を大切にしていこうと思います。

 

これぞ資本的支出や・・・!

 

『来る』

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『告白』の中島哲也監督が、日本ホラー大賞で大賞を受賞した小説「ぼぎわんが、来る」を映画化したもの。アマゾンプライムビデオで見られるようになっていたので先週末、鑑賞した。

 

田原秀樹(妻夫木聡)は、愛する妻カナ(黒木華)と2歳の娘知沙と3人で幸せな生活を送っていたが、身の回りの奇怪な現象に悩まされるようになる。ライターの野崎(岡田准一)とその知り合いで霊媒師の血を引く真琴(小松奈々)に相談を持ち掛けるが、次第にその奇怪な現象は想像をはるかに超えた強大な力を持つことに気づき始め、次第に日常が脅かされていく・・・みたいな感じ。

 

この映画は面白いことに、3部構成で、主人公がどんどんと切り替わる。第一部では妻夫木君が演じる秀樹が、その明るくて空回りで無意識のうちに人を傷つける嫌~な夫を演じていて、このまま主人公で行くと思いきや2部では黒木華が演じる秀樹の妻に主人公の座が明け渡される。最終は誰が主人公なのかわからないのだけど、野崎であり、小真琴でもあり、真琴の姉の琴子(松たか子)のようでもある。こちらが思っていた展開をどんどんと裏切るストーリーにも面白さを感じるし、中島哲也監督らしい、違和感を感じるビジュアルがよくフィットしている。ホラーなのにどこか明るさを感じるこの作品はその明るさゆえに正体がよくわからない「何か」が襲ってくる怖さが引き立っている感じがする。

 

この映画の終盤では、霊媒師 vs強大なパワーをもつアイツという頂上対決みたいな展開になっていくわけで、そのある意味ばかばかしさみたいなところがアメリカのヒーローもののようであり、高揚感までも感じる不思議。柴田理恵さんが演じてた霊媒師がかっこよかったです。

 

全員が全員面白いと感じる作品ではないのかもしれないけれど、有名で芸達者な役者たちがそれぞれの良さを出している点も楽しみつつ、奇怪な現象の怖さを感じられる非常にわくわくする映画だった。

 

あ、あと書き忘れてたけど、私は小松奈々さんがすごーく好きです。

『見えない目撃者』

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昨日、アマゾンプライムビデオで「見えない目撃者」という2019年の映画を見たので、感想をメモ。

 

警察官を志す浜中なつめ(吉岡里穂)は、自分の不注意で起こした自動車事故で同乗していた弟を死なせてしまう。さらに事故の影響で視力も失ったなつめは、失意の中で警察から退職し、実家に引きこもる日々が続いていた。ある日、なつめはスケボーに乗る青年、春馬(高杉真宙)と自動車の接触事故の音を聞き、現場に駆け付ける。すると、車中から若い女性の「助けて」という声を聞く。警察は盲目のなつめの証言をまじめに取り合わないことから、なつめは春馬と協力して事件の真相を追い求める・・・という感じの話。

 

韓国映画の「ブラインド」をリメイクしたものらしく、一度ヒットしているから筋書のおもしろさはお墨付きなわけだけど、予想以上に面白くよくできた映画だと思った。

 

まず、主人公のなつめを演じた吉岡里穂さんの演技がうまかった。残念ながら吉岡さんの演技を今までちゃんと見たことがなく、どん兵衛のCMがかわいいなあ~というぼやーっとした印象しかなかったのだけど、この映画の中では説明がなくても目が見えない人に見えるし、なつめのひたむきな性格とか一生懸命さが伝わる演技だった。

 

配役という意味でいうと、俳優陣にめちゃくちゃ有名な人が少ないというのがこの映画を成功に導く鍵だったんだなあ、とすべてが解決し終わった後に思った。こういうサスペンスものは、誰が犯人なのかという点が視聴者側の緊張感をもたせるわけだけど、そういう意味で、この映画はよくわからない状況が続くのが良かった。

脱線すると、私が好きな「裏切りのサーカス」という映画は逆に有名俳優オールスターみたいな状況ではあったのだけど、その中でも渋さとか円熟味とかで「ああ、彼が黒幕だろうな」と予想できてしまう点が少し残念ではあった。

 

映画を見ていて、すべての伏線が回収されるべき、とかそんなことは決して思わないけど、この映画は前半で提示される様々な言動や各登場人物の性格がのちのちの行動や発言に見事につながっていく点がすごく見ていて腑に落ちるし、展開に納得感をもたせるつくりになっているように思う。もちろん、なつめが犯人から地下鉄の構内で逃げるシーンや春馬が車で追い回されるシーンなどの「さすがにこの展開は少し無理があるのでは・・・」等と感じる場面もなくはないけれど、終盤まで緊迫した雰囲気をつなぎとめる手腕はさすが。

 

これからも、こういう面白い日本映画をみたいなと感じた。

 

 

先週の日記(2021/5/10~2021/5/16)

5月10日(月):自宅で仕事。

 

5月11日(火):雑務のため1ヶ月ぶりにオフィスに出勤。午後過ぎには帰宅して仕事。

 

5月12日(水):自宅で仕事。夜は、異動前にお世話になった先輩2人とオンライン飲み会。自分が少し前向きになっているからか、以前よりも朗らかな気持ちで積極的に話せたし、自分らしさみたいなものを出せた(今さら・・・笑)

 

5月13日(木):自宅で仕事。異動前によく声かけてくれていた営業のおじさん(お兄さん?)に退職予定の事実をメールで伝えたところ、わざわざ電話をくれ、しばし雑談。この会社ではあまり人間関係を構築できなかったなあと思っていたのだけど、こういう風に仲良くしてくれる人もいたと思ってうれしかった。

夜は、エージェントに紹介してもらったA社とオンラインでのカジュアル面談。このA社は前職と同じ業界で、面談してくれた人も同じ会計士としてのなじみ深さみたいなものをびんびんと感じた。後々夫に聞いたら、夫が前働いていた会社の先輩だったようで、夫も「あ~〇〇さんか!いつもいい腕時計してたし、さわやかだったな・・・」とか珍しく人をほめていた。この業界の狭さを改めて実感するとともに、なつかしさを覚えた。業界内で誰かに出会うと絶対に共通の知り合いがいるというのは、なんかうれしい。

 

5月14日(金):有休休暇。お昼は、パーソナルトレーニングへ。1時間いい運動ができた。

夜は転職先として志望度が高いB社とオンラインでの一次面接。面接してくれた人は、私の前職で勤めていたこともある人で、実家のような安心感。もちろんお互いに面識はないのだけど、共通言語みたいなものがあって気持ちをわかってくれるのか、志望理由や転職の軸がボヤっとしていてもあまり厳しく突っ込んでこないのがありがたい。B社は、今のご時世で珍しくリモートワークをやっておらず、たいてい会社に出勤しているみたいで、転職することを考えたらむしろその方がいいのかなあとも思う。ネックとしては、大手ではないので、たぶんマニュアルとかそろってないだろうし、積極的に声をかけていかないと情報をとるのが難しい気がする。

一方で、A社の方が、前職に雰囲気が近く大手だから、多分研修とかナレッジも充実しているだろうし、安心感もあるが、完全にフルリモートだから人となじむのに時間がかかるかなあという懸念がある。その点をもう少しA社・B社ともに話した方がいいのかなあとも感じている。しかし、結局は自分がどういう仕事をしたいか?ということに終始するのだろうけど、そのあたりがまだボヤっとしているのが問題な気がしている・・・。悩ましい。

 

5月15日(土):午前中はギター。6月でギターを辞める予定なので、残り4~5回のレッスンと思うと少し感慨深い。午後は、夫と家で映画鑑賞。前から見たかった邦画ホラー「来る」をアマゾンプライムビデオで鑑賞。夫はホラーとかサスペンスを好むので、これは結構好きだったようだ。

 

5月16日(日):雨が降ったりやんだりの一日。昼は近くのそば。そのまま散歩がてらユニクロへ。ホットヨガで着る服(ヨガやる人が着がちな服)を買いたかったのです。いや~ユニクロってほんとすごい。合計3,500円くらいで、スパッツとおしりが隠れるTシャツみたいなのを購入。帰宅後は、早速購入した服でホットヨガへ。なかなか見栄えもよい気がした(自己満足)。気分をあげるのって大事だなあと思った。

『モキシ―~私たちのムーブメント~』

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16歳のヴィヴィアンは、シャイでおとなしい女の子だが、学校の性差別や不平等に憤りを感じていた。若い時にフェミニズム運動をしていた母の影響や、男子生徒からの嫌がらせに毅然と対応する転校生のルーシーの姿を目の当たりにしたヴィヴィアンは匿名でモキシ―という冊子をつくり学校内で女子生徒の立場改善のムーブメントを起こす。彼女がたった一人で始めた運動がしだいに大きなうねりを引き起こし・・・。という話。

 

昨今のMe too運動を一学校内で描いたような話で、学園ものの明るさとか、思春期の友人との関係、恋愛模様など全部楽しい作品。ヴィヴィアンが通う学園も、人種の多様性がバランスとれていて、しかもヴィヴィアンと恋仲になるイケてる彼はアジア系というアップデートされた価値観が見ていてとても心地いい。

 

つっこむとしたら、ヴィヴィアンの恋人になるセス役の俳優は日本人とアメリカ人のハーフ、つまりアジア系なのに、役名がセス・アコスタという点。セス・アコスタって、むしろラテン系なのでは?と思ったけどまあいいか。

セス役のニコ・ヒラガさんは、ヒラガという名前からもわかるようにお父さんが日本人で、顔もアジア系でいってみれば鈴木福くんみたいなやさしーい感じなのだけど、役のキャラクターがいいからか、異常にカッコよく見えるという不思議。映画全般を通して彼の性格がイケメンすぎて、久々に映画を見ていて動悸がしました。やっぱり人間は顔じゃなくて、性格とか雰囲気が大事・・・。

 

あと、ヴィヴィアンの親友を演じた中国系の女の子クラウディアはテラスハウスハワイ編のローレンが演じている。すごい出世・・・。優等生でシャイだけど、友達思いで芯がある役どころがはまってました。

 

この映画を語るうえで、フェミニズム運動は避けて通れないと思うので、うまくかけるかわからないけど、書いてみる。

ヴィヴィアンの行動は当初は「モキシ―」という冊子での啓蒙のみだったけれど、次第に、アメフト部のミッチェルを"Asshole"と称したりとか、不平等に目をつぶる校長のトロフィーを盗んだり、さらにはそのトロフィーを壊したりとエスカレートしてしまう。

その点が「けしからん」として批判する人も結構いるんだろうと思う。確かに、何かの正しい主張をする際には、適切なルールにのっとってかつ他人に迷惑をかけないで行うべき、っていう考えの人はすごく多いと感じていて。それだから、そのルールから逸脱する行動を起こす人に冷たい目を向けてしまうのは、特に日本人にありがちな行動だと思う。だけど、凝り固まった古いスタンダードを壊して新たな価値観にアップデートしていくというのは非常に強いパワーがいると思っていて、もし私が当事者だとしたら、今まで聞いてもらえなかったメッセージを伝えるためには、あのくらいの力強い行動に出てしまうのも十分に理解できると思った。史実において、例えば黒人の奴隷解放運動とか女性の立場向上運動とかも、一時は過激化したこともあっただろうけど、それだけのうねりを起こすパワーが必要があったという意味で、一部の過激化は致し方ないのではないかと思う。それ以上に、古くてあきらかに不平等な価値観に目をつぶっていることの方がよっぽど悪なのかも。

 

まあ、うまくまとまらなかったけど、色々考えさせられるとともに、学園ものアレコレを楽しめる映画でした。あと、しつこいけどセスがかっこよすぎです。

 

 

良いお金との付き合い方とは

最近、お金をどう使うのか、あるいはためるべきかということを考えるきっかけがいくつかあった。

一つの契機はコロナ禍。ありがたいことに自分への仕事の影響はあまりない一方で、自宅にこもり消費が減った結果、今までにないレベルの貯蓄をすることができた。おそらく手取りの半分くらいは貯金あるいは投資に向かったように思う。

増える資産残高を見て、うれしいなと思うのもつかの間、幸せなのか?という問いには即答できない状況だった。もちろん、他人と比べれば、仕事をなくすこともなく、生活できているという点では相対的には幸せなのだろう。しかし、自分が幸せかどうかはあくまで他人との比較ではなく、自分の過去・未来との比較、あるいはその時々の絶対的なものなのだろうと思う。

 

もう一つの契機としてあげるなら、今年に入って実行した2つの大きな消費である。一つはわかりやすく「ブランドもののいいカバン」であり、もう一つはパーソナルトレーニングである。前者は、人生に一度は経験したいと思っていたことで、去年貯蓄をしっかりできたご褒美として実施してみた。ハイブランドの店舗に入るだけで、店員さんががっつり脇に張り付いて接客してくれる。恭しく扱ってくれることに高揚感を感じる人もいるみたいだけど、自分はやはりショッピングは苦手なので(たぶん自己肯定感が低いから)、その場はあまり楽しめなかった。しかし、帰ってから新しいカバンの皮のにおいをかいだり、外で使ってみると、「いいかばんを自分のお金で持てるくらいに大人になったのだ」という嬉しさが後からやってくる。これからバンバンいいカバンを買うことはないだろうけど、いい経験だった。

後者のパーソナルトレーニングは、まだ始めたばかりだが、すでに心身両方へのいい効用を感じている。一人で鍛えるジムには何度か通ったことがあるけれど、機械の使い方もよくわからないし、そもそも自分の身体のどこを鍛えたらいいのかという点が一番わからない。そこをカバーしてくれるのがパーソナルトレーナーであり、言われたことをやればいいから気持ちも楽。運動することで幸せホルモンも分泌されるし、一石二鳥である。筋トレをすることで自己肯定感が上がるような感じもするので、しばらく続けたい。

 

さらに、いまひとつ検討しているのは顔の脱毛である。ホルモンバランスが相当に乱れているのか、ストレスなのか、男性並みのひげがあごや首に生えるようになった。しかも20代前半にあったような5~6本とかのかわいい話ではなくて、すくなくとも20~30本くらいは簡単に目視できるレベルである。ピンセットで抜いたとしても、黒い毛穴が目立ってしまったり抜いた毛穴が少し赤くなったりして、これは自分の力ではどうにもならないな・・・と思った。今はマスクで多少なりとも隠れているからいいけれど、いずれマスク生活ではなくなったときに、嫌な気持ちになることが予想された。

会社に思ったのは、意外と他人の顔の毛は見えるものである。同僚の首筋の産毛が生えているな、とかうなじに毛が生えているなと当時はよく思ったものである。。。もちろん毛が生えていること=悪では決してないけれど、自分の自己肯定感を上げるには、今気になることを解決していくのがいいのだと思った。もちろん脱毛もそんな安い買い物ではないけれど、自分が「やってよかった」と思うことにはお金を使うのがよりよい日々の営みには大事なのだなあと30を前にして実感したのであった。

 

思い返してみれば、子供のころからお金を使うことへの罪悪感があった。お金を使うのは悪いこと、みたいな正体不明の恐れがあったように思う。しかし、大人になって一人暮らしをして思うのは、一人の人間を生かすのには本当にお金がかかるというもの。子供の頃は気が付かなったが、普通に呼吸をするだけでお金がかかることを知れるようになったのはよかったと思う。逆に、普通に生きるだけでお金がかかるなら、よりよい生活のためにお金を使うのはあるべき姿なのだろうな、とも思えるようになった。

 

もし今後子供ができたらお金の使い方もまた変わるだろうから貯蓄は継続して続ける予定だ。一方で、できるだけ日々の生活を心地よくするためにお金を使うことに罪悪感を抱かないようにしたい。

『なぜ君は総理大臣になれないのか』

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17年前、官僚だった小川淳也は政治家を志し地元の香川一区から衆議院選挙に立候補する。美容室を経営する両親のもと生まれた彼には地盤も看板もないままに孤軍奮闘する。同じ香川一区には、三世議員で親族は四国新聞のオーナーという自民党平井卓也の協力な地盤があり、小川淳也小選挙区ではなかなか勝つことができない。小選挙区で勝てないということは、所属する党内での発言力も弱いということを意味する。

2005年に比例復活により初当選を果たす。政治家になって国民の生活をよりよくする、という使命のもと闘い続ける彼を17年にわたって追い続けるドキュメンタリーだが、年数を重ねていくうちに、皮肉なことになぜ彼が総理大臣になれないのかということが明らかになっていく。

 

小川さんといえば、数年前の統計不正問題が発覚したときの政府への質疑での精悍な態度で有名になった人である。民進党の前原氏の側近であったために、希望の党への合流問題(小池さんが、「排除します」といったやつ)においては、自分の信念と仁義のはざまで苦悩する姿が見られる。彼がなぜ総理大臣になれないのか、という答えは「あまりにまっすぐすぎる。そして、政治家としてうまく立ち回るということを知らない」ということなんだろうと思う。見ている一視聴者としては、こういう人にこそ総理大臣になってほしいという気持ちを新たにするのに、同時にこれでは総理大臣はおろか、党首のポストも遠いように感じてしまう、という歯がゆさでいっぱいになる。

 

あるべき民主主義の姿とは、彼がいう「多数決で51対49で何かが決まったとしたら、政権は49に対して誠実でなければならない」ということだと思う。しかし、今の世界はそうではない。自民党政治、とくに第二次安倍政権があれだけの疑惑をもたれながらも長期政権を維持できたのは、結局自分の支持者だけに目を向けたがゆえに、リベラル層には無力感を抱かせた結果、多数の支持なし層を生み出した。多くない自民党支持者の支持を集めることで多くの議席を獲得し、議席数だけでは大勝したかの印象を与えることに成功したことに起因する。小選挙区制のひずみは明らかだ。

 

こういう人が政治家をやってくれていることに感謝を抱くと同時に、政治の闇を見てしまったようで複雑な気持ちになった。