桐島、会社やめるってよ

読んだ本や見た映画についてのアレコレ

『断片的なものの社会学』

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自分が読む本や映画は自らの意思で選んでいるか、というとそうでないものも多い。この社会学者の岸先生による『断片的なものの社会学』は、まさに偶然が重なって出会った本だと思う。まず、そもそも岸政彦という社会学者の名前を知ったのは、Twitterである。私にはほとんどつぶやくことのないTwitterアカウントがあるが、内田樹先生や小田嶋隆さん、武田砂鉄さん、能町みね子さんあたりの方々をフォローすると、おすすめに必ず岸先生のアカウントが出てくる。Twitterのおすすめ機能に、そう簡単にのるものか、という天邪鬼と一時戦いはするも、岸先生の猫の写真のかわいさにあらがうことはできない。正直それくらいの気持ちだから、ときおり流れてくる岸先生のTwitterを眺める程度で、著書や研究内容について調べることはしていなかった。

 

そして昨今の鬼滅の刃ブームである。アニメを1~2話みてみたが、全部起きている事象をセリフで説明しちゃうそのアニメのスタイルがどうも苦手で、かったるくなってしまうたちであり、その後継続してアニメを見ることはなかった。しかし、夫が全部アニメを見ており、漫画もKindleで購入しており、そこそこに楽しんでいたようで、「暇なら、鬼滅の刃でもよみなよ」とでも言ってきた。私はアニメは苦手でも、漫画ならいけるだろう、と思い彼のKindleを勝手に借りてみると、鬼滅の刃のすぐ横に『断片的なものの社会学』がすっと並んでいた。彼が読む本は漫画かビジネス関連の本に限られているとばかり思っていたので、相当にびっくりした。なんで夫が岸政彦を?と思ったものだが、私は、特になにも言わずに、鬼滅の刃ではなく『断片的なものの社会学』を読み始めた。

 

『断片的な社会学』はありとあらゆる人々の生い立ちから日々の暮らしまで、実際に会って聞き取り調査をした中で、岸先生が「あれは何だったのだろうか?」と感じたエピソードについて断片的に、しかし静かな美しい文章でまとめた本(だとおもう)。今こちらに書いたあらすじも、下記に書き連ねる文章も、私が数日前にさっと読んだ本について特にメモったわけではなく、抱いた印象をもとに書いている内容なので、内容に間違いがある可能性は非常に高いのだが、そこは容赦していただきたい。

 

作中でピックアップされたエピソードはかなり岸先生が聞き取り調査を進める中で出会ったかなりユニークな人たちに関する内容で、彼らの人生の軌跡をたどるだけでおもしろい。例えば私が嫌な気持ちを抱えてうずくまっていた、2008~2010年あたりを、もっと破滅的で絶望的で生きた人もいればその逆で、想像を絶するほどの幸せを感じていた人もいるだろう。でも、結局その事実を私は確認することはできない。そのことを考えると、自分が見ている世界の孤独というか、せまさに圧倒される気持ちになる。

 

また、私が非常に興味深いと感じたのは、岸先生が名もなき人々のブログを渉猟するのが好きだというところだった。更新がとまったままインターネットという大海原でうちすてられたページを見て、感傷的な気持ちになるというのは私も思い当たりがある。今は使っていないフリーアドレスに、昔更新していたブログの案内が来ていることがある。そのメールを手掛かりに、自分が5~6年前に少しだけ更新していたブログを見に行くと、そこだけ時が止まっているかのような、しんとした静けさを感じる。過去の自分は自分のはずなのに、どこか別人のようでもあり、でも書いている文章は全く今の私と同じである。というわけで、今日私が書いたブログはいつも以上に中身のない話であるのだが、『断片的なものの社会学』を読んだせいで、自分の過去の気持ちや長年会っていない人と交わした会話の断片的な記憶が突然よみがえってきた。人が書いた文章を読むことは、なぜか自分の中の記憶をたどる行為の媒介としても働くのかもしれない。