桐島、会社やめるってよ

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『居るのはつらいよ:ケアとセラピーについての覚書』

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またすごく面白い本に偶然出会ってしまった・・・。

この本を出版している医学書院というのは、「ケアをひらく」というシリーズを展開しており、そのシリーズ本がなんともいえぬ魅力がつまっているのである。例えば、安倍首相も患ったという潰瘍性大腸炎の壮絶な闘病と共生について書いた「食べることと出すこと」や、私が好きな内田樹先生が書いた「死と身体:コミュニケーションの磁場」など。書き手は看護師、医師といったケアする側から、学者、はたまた患者まで。医学的、科学的な見地だけでは書ききることのできない「ケア」について書かれている。

 

そしてこの『居るのはつらいよ:ケアとセラピーについての覚書』は、臨床心理学の博士号を取得した東畑さんが心理士として沖縄の精神科に附属するデイケアに勤めたときの4年間の体験とそこから得られた学びについて、どこかユニークでしかし実直誠実に書いたものである。一般に、精神を病むと、精神科や心療内科に通い、また会社や学校に復帰することが期待される。しかし、デイケアは精神科や心療内科と会社や学校の間に存在する「ただ、居ること」を機能として期待されるコミュニティである。デイケアに訪れる人との交流や臨床心理について書かれる場面では、どこか河合隼雄さんの本を読んでいるような雰囲気も。

 

タイトルにある、ケアとセラピーは似て異なるものであるようだ。文中でも詳しく書かれているが、簡単にいうと、ケアとは傷つけないこと、セラピーはその人の傷と向き合うことだという。なんでも「そうですね、なるほど」と話しを聞いてくれるカウンセラーはケアをしている。一方で、その人のトラウマや深い意識にとどめ置かれた過去の経験を一緒につつき考えるのはセラピーである。もちろんすっぱり二分できるものではないが、東畑さんはそもそもセラピーを極めたいと思って沖縄の場にやってきた。しかし、そのデイケアではそもそもその場に「居ること」の困難さを抱えている人が多くいるわけで、その人の傷を直視することというのは相当に困難であることだという。

さらに、あらゆることが費用対効果で語られる社会にあっては、デイケアのような患者のアジール(避難場所)がむしろアサイラム(隔離所)として機能してしまう。その現状にゆきあたり、深く思い悩むことになる。

もちろん社会を運営していくうえでは、会計監査というのは避けられることができない。この費用は何に使ったのか?この投資をした結果のリターンは?このような問いによって、社会の活動が可視化される。しかし、会計という物差しで測ることのできない人間の営みがあるということを忘れてはならない。そんなことを改めて気づかせてくれる良書だった。

私が仕事で悩むのも、結局自分が会社でうまく歯車の一つになれていない、という自己認識があるからだ。それは常に自分の仕事に会計のものさしが差し込まれているからであろう(自分自身が会計士であるということもどこか皮肉である・・・)。