馬場歩きをした件
大学入学を控え上京した私が最初に住んだのは
中野区と練馬区の堺にある「井荻」という駅周辺だった。
茨城出身の私からすれば自分の住むアパートの住所が東京都から始まることに驚き、
井荻の駅前にあるピーコックの野菜の高さに驚き、
西武新宿線の電車が数分に1回駅のホームに現れることに驚いた。
驚くばかりの生活ではあったが、
東京に住んで10年もたてばだんだんその目新しさは忘れ、
東京の街並みを歩いても、耳にはイヤホンを差し、
周りのことに目を向けなくなっていった。
しかし、うつ状態という診断書をなかばお情けでもらい、
休職することになった私に課せられた仕事は精神状態を安定させることだ。
「家でぼんやりすることだけは避けなさい」
それなら簡単だ。書を捨て、町へ出るのだ。
久しぶりに外を散歩するにしてもイヤホンはもっていかないことにする。
当たり前のことだが、そうすると町の音がよく聞こえる。
なぜか聴覚だけでなく嗅覚や視覚も格段に良くなったような気がする。
ラジオで聞こえる人々の雑談やニュース。
それもいい。
だけど、外界の刺激にさらされた自分の脳みそに浮かんでくる思い出や考えが意外に面白いことに気づく。自分の考えや思い出は自分の脳みそにとっては一番の報酬なのかもしれない。
早稲田方面から高田馬場に向かって一本道をぐんぐんゆく。
学生時代にあったお店、学生時代にはなかったお店。
一軒一軒見ながら、私の脳は答え続ける。
「ああ、これはあったな。あのお店はつぶれたのか・・・。これは今っぽい店だな」
学生のときあったお店がなくなったからといって、それがどうしたというのだろうか。自分の思いでと現実の風景を比較せずにはいられない。
本当に人間の脳は不思議だなと思った。