桐島、会社やめるってよ

読んだ本や見た映画についてのアレコレ

先週の日記(2020/11/9~2020/11/15)

11月9日:午前中はゆっくり過ごす。午後に、ホットヨガへ。ビギナーピラティスのクラスに初めて参加したが、想像以上のキツさに音を上げそうになる。中島岳志島薗進の対談本『愛国と信仰の構造 全体主義はよみがえるのか』を図書館で借りて読んだ。中島岳志さんといえば、『自民党 価値とリスクのマトリックス』とか『支配の構造: 国家とメディア「世論」はいかに操られるか』を読んで信頼できる学者だなと感じたので、図書館で新しい本を見かけるたびに読んでいる(おぼろげな記憶だが、小林よしのりゴーマニズム宣言で中島さんがすごい剣幕で批判されていた気がしたけど、どんな内容で批判されていたんだっけ・・・)。この本は、大戦にどういう宗教ナショナリズム全体主義へと向かわせたのかを考察する本。煩悶する青年たちが日蓮主義や親鸞主義のユートピア主義に傾倒し、やがて全体主義へと合流する戦前の流れが非常に興味深い議論となっていた。

 

11月10日:会社の人事と電話。いよいよ仕事復帰という事実に憂鬱感を抱いて、あまり出かけたりしなかったような。犬の散歩で気を紛らわせる。

 

11月11日:何をしていたかあまり記憶がないが、確か『小田嶋隆のコラム道』を読んだ気がする。

 

11月12日:近所のカフェで読書。夏目漱石の『彼岸過迄』を読んだ。夕方はチームメンバーと今後の仕事の仕方について電話した。久々の緊張感。

 

11月13日:1ヶ月ぶりに会社のパソコンを開く。未読メールは百通以上あったが、大事な内容のメールはあまりなく、大振りの空振り三振のような境地に。上長は休みなので、ほぼやることがなく、休職中と同じような生活をした。

 

11月14日:Go to eatを利用して、近所の古民家レストランへ。オープンキッチンのおしゃれな店内。厨房には若い男性シェフ2人。ホールは若い女性2人。全員マスクしているからかもしれないけど、美男美女ぞろいで若々しくて不思議なお店だった。味もしっかりおいしかったが、量が少なかったので、再訪はないかも。夜は大学時代のサークルの友人と5年ぶりくらいに会った。お互いに特に近況の変化はなくて、当時の思い出話に終始した。社会人になってから友人を作るのが難しいのは共有している思い出がないからかもしれない。

 

11月15日:昼にトマトパスタを作った。おなか一杯になりすぎて昼寝。子供のころはいくら食べすぎても胃腸に変容をきたすことはなかったが、大人になって食べすぎると、たぶん胃に血が集まりすぎて、気を失ったように眠ることがある。目覚めると犬も一緒に寝てて外が暗くなっていて少し気落ちした。夫が帰宅したので、一緒に5キロくらいランニング。少し胃腸の重さが軽くなって気持ちも楽になる。その後犬の散歩。帰宅後夕飯。豚のみぞれにと納豆オムレツとほうれん草サラダの軽めごはん。食事後は図書館で借りた『「東京物語」と小津安二郎』を読んだ。

 

先月、今月は月に10冊以上の本を読みまくった結果、ある一つの考えが胸に往来するようになった。何かに悩むと本にこたえを求めようとしてきたが、結局自分が生きたいように生きるしかないというか。正解なんて本当に自分しかわからない。逆に考えれば、自分の選択を正解にしていくという言葉は、自分が選び取ったものに納得していくしかないのだろうということだった。まあ、今までも知っていた考え方だけれど、なぜかこの1~2ヶ月で腑に落ちるようになったというか。

さっき、自分が社会人1年目に書いていたブログがたまたま見つかって、何ページか読んでみた。内容は今とあまり変わらないのだけど、もっと言葉が稚拙で自分の心の内を言語化できないようだった。本を読みまくった結果なのか、因果関係はよくわからないが、自分の心境にびたっと当てはまるような語彙を駆使して言語化できるようになったと思う。それがどこか自分の胸の内を修復しているような感覚がある。

哲学者のヴィトゲンシュタインは「もともと言い表せることは明晰に言い表せる。そして語りえないことについては人は沈黙する」といったが、語りえることが増えれば増えるほど、鬱屈した気持ちは自分の中から解放されるような感じがした。

と、まあ、カッコつけたことを書いてみたが、結局のところ仕事が暇だから気が楽なんだろう。