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ユニクロとジルサンダーのコラボについて

10年ぶりとなったユニクロジルサンダーのコラボ商品に客が大量に押し寄せているそうだ。コロナ禍の昨今では珍しいほどに、人々の熱気がユニクロの店内に充満していたそうだ。

ハイブランドであるジルサンダーデザインの商品がお手頃な値段で手に入ると聞けば、興味はわくし、ほしいとなるのもわかる。

私は保有するデニムはほぼすべてユニクロだし、ニットも半分くらいはユニクロという、なかなかのユニクロ愛用者である。それにも関わらず、有名デザイナーとユニクロがコラボした商品に手を出したことは一度もない。

 

ちなみに、私は大学生くらいまで、服にお金をかけることにすごく罪悪感を抱くたちで、「着ていく服がない」→「安い服に手を出す」→「結局ほかの服と組み合わせられない」という悪循環に陥り、安物買いの銭失いを体現しながら「人間にとって大事なのは見かけではない、中身だ」とか言いつつ久々に出るゼミの授業で周りの女友達のおしゃれさに圧倒され、自らの服装を恥じたこともあった(そういう意味で、私の母校は青学とか慶応のような、おしゃれな女子がいっぱいいるといわれる大学ではなかった点で、命拾いしたと思っている)。当時のGUは今ほどベーシックにおしゃれではなかったし(もっと奇抜でペラペラだった印象)、しまむらはあまりにピンからキリまでそろいすぎていたのでダイヤの原石を見つけることは難しかった。

 

しかし、今の夫と出会って少し心境に変化が生まれた(というのと、社会人になって多少の経済的自由が生まれたということも影響している)。

私の夫は茨城の片田舎にすむ高校生でありながら、ときおり東京にわざわざ出て行っては服を購入し、着なくなった服はヤフオクで売るというなかなかの策士であった。ベーシックで質の高い服を持っていることから、社会人9年目となった今も当時の服をたまにきており、先日おしりに穴ができたデニムをやっと捨てた。それはなかなかにすごいことである。

そんな夫を見て、私も少しばかり意識改革をすることにした。デニムは正直ユニクロで十分。しかし、コートとかニットに関しては好きなブランドを見つけて、そこで購入する。自分があまりおしゃれではないという自意識があるから、ブランドのロゴというのはとりあえず着ておけば、おしゃれに見えるだろうという安心感がある。

 

そんなにバカ高いブランドではないが、そういう意味で最近は「Maison kitsune」のカーディガンやTシャツを好んで着ている。このブランドのポイントは、①そんなに誰にでも知られている大衆ブランドではない②簡単に買うのは憚られる程度に値段が高い③特徴的なマークやロゴがプリントされている点にある。とはいえ、必ずしもこの3点すべてを満たす必要はない。

さらに、私は長年トレンチコートが欲しいと思っていたが、①②を満たすマッキントッシュのコートを悩んだ挙句、新品で買うのをやめて、メルカリで2万円で購入した。結局は値段とロゴの有無というよりも「それなりの希少性」と「ブランド」に私は惹かれることがわかった。その基準で服を選んだ結果、「なんか着てく服がない」という状況はあまりないし、適当に服を組み合わせてもそれなりになるし、なにより自分が「それなりの身だしなみをしている」という意識に安心感を得られる。さらに、ここまで書いていて気づいたのだが、私の面倒くさいところは意識しておしゃれをしている感をだしたくないという点である。

 

遠回りをしたが、話をユニクロジルサンダーのコラボに戻す。

まず、おしゃれなものが欲しいけど、あまり高い値段を出したくないという人のニーズを満たすこの商品は、私が手を出すには、「私はおしゃれをしたいです」感をメッセージとして他者に押し出してしまう。さらに、さすがのユニクロである。定番商品よりは数は絞っているだろうが、大都会を歩いて石を投げれば当たるほどに同じ商品を持っている人がいる可能性は高い。そうなると自分の中の「無難におしゃれをしてます」感はは煙のように一瞬にして消えてしまうだろう。

いろいろと面倒臭いことを書いてみたが、こういう風にして、私は手ごろだけどおしゃれなものに手を出す機会を失って、真におしゃれセンスを磨くことから遠ざかっているような気がしてきた。