桐島、会社やめるってよ

読んだ本や見た映画についてのアレコレ

『二十四の瞳』

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仕事が毎日5時半には上がれるので、さぞアフターファイブが充実しているかといえば、なんとも言えない。もちろん、コロナの状況でも解雇されずに在宅で働けるという事実には感謝しなければならない。とはいえ、なんとも言えぬ「もやもや感」が常につきまとっている。

トヨタカイゼン手法の一つとして「なぜなぜ分析」というものがある。起きている事象(通常はネガティブなもの)に対して、なぜを5回繰り返すと根本原因を突き止めることができる、というものである。ちなみになぜ、5回の質問でいいかというと、100回も200回も質問すれば、より根源的な原因にたどり着くことはできるだろうが、人間が発狂するからだという説がある。とはいえ、質問をする人と質問に答える人のどちらかがより難しいかというと、質問をする人である、ということからもわかるように、結局効果的に「なぜ」の質問をするのは究極的に難しい。まあ、だからこそ世の中には「コンサルティング」とか「カウンセラー」という職業が存在するわけであるが・・・。とりあえず無料なので、自分の感じているもやもやの理由を「なぜなぜ分析」で探ってみようと思う。

 

事象:毎日どこか憂鬱さがある

①なぜ憂鬱か:休日は憂鬱さがない。仕事があるのが憂鬱さに影響している。

②なぜ仕事が憂鬱なのか:わからないままに色々やっている状況が嫌だ

③なぜわからないままにやるのか:できない人と思われるのが嫌だ

④できない人と思われるのはなぜ嫌なのか:今、私の人生を構成しているものが仕事と趣味なく、趣味も読書・映画くらいの負荷が低いもの。仕事ができないと人生の大半をネガティブなものとして過ごしているような気がする。

⑤なぜ趣味の要素を増やさないのか:めんどうくさいという気持ちが強く、新しいものに挑戦する気持ちがない。

 

とやってみると、憂鬱さを解消するには面倒くさがらずに新しいことに挑戦してみるべき、ということになるのだけど、面倒くささを解消するには?みたいな別の要因が発言してきてしまい、大変厄介なことである。

そんな気持ちでもやもやしながら、仕事あがりの私はソファでごろりと横になって、「二十四の瞳」を見始めた。

 

二十四の瞳」は同名の原作小説を木下恵介が映画化したもので、小豆島の岬の分校に赴任した女の若教師とその教え子12人の戦前・戦中・戦後の交流を描く。

盧溝橋事件が起きたのは確か1937年で、主人公の大石先生が岬の学校に着任するのはそのころである。大石先生は自宅から学校までの8キロくらいの距離を自転車に乗ってやってくる。岬はかなり保守的な場で、子供たちの親たちは「なんじゃ、おなごの癖にハイカラな自転車なぞ乗って」と陰口をたたく。子供たちも若い女教師を最初はからかうのが通例なものだから、落とし穴に落としたりなんだりで、大石先生は足を痛めて、岬には通えなくなってしまう。

優しい先生を懐かしがり、逆に子供たちが遠い道のりを泣きながら歩いて大石先生を訪問する。その後、大石先生は戦争が迫りくる時世においても、子供たちに「命を大切にするのよ」と説き続け、アカだといわれてしまう。そんな学校に嫌気をさした、大石先生は学校を辞めて家庭に入り、子育てをしながらもかつての教え子をたびたび訪れる。

戦中においては、兵隊に入った教え子を見送ったり、病気で先が見えない教え子を見舞ったり、そのたびに大石先生は子供たちと、寄り添い涙する。国を挙げて勇ましいことを言っている中でも、より弱いものとともにあろうとする大石先生の姿に泣ける。その後長かった戦争が終わるわけだが、かつての教え子にも死人が出たり、夫や子供の一人を亡くす。小さいころのやんちゃぶりを見ているわけだから、彼が死んだと聞くと人一人が戦争で命を落とすことの実感が迫ってくるようで、ずしんとした悲しみを感じる。

大石先生は、その後学校に復帰し、かつての岬の学校で教えていた子供たちのその妹や子供を担任する。その不思議な縁から、かつての教え子たちと再会し、12人の教え子たちとの平和な日々を懐古する。

 

主人公を演じる高峰秀子は、『カルメン故郷に帰る』のはすっぱなストリッパーとは違い、優しい女教師を演じており、その違いにまず驚く。昔の映画だと、若い先生でも声が結構老けて聞こえるので、最初の登場ですでに貫禄は感じたものだが、その後時の経過で年老いてから学校に復帰したときの声の老け具合はさすがだなあ、と思った。なんか、もうおばあちゃんじゃん、ていう。今でこそ40歳、50歳なんて若々しいけど、昔の40歳、50歳以上はもうおばあちゃんみたいな感じだったんだろうな、と。

 

キャストや監督、編集に至るまで、実際に第二次世界大戦を経験した人たちがこの映画に携わっているわけで、戦前と戦後の空気の違いというのが、どんな最近の日本映画よりもリアルで身に迫るそんな映画だった。

 

すごい短絡的な感想ではあるが、自分が趣味がなくて辛いとか、もやもやしているのがなんだか恥ずかしいくらいの「良い映画」で、自分自身もう少しびしっと生きたいものだな、と思った。この効用がいつまで続くかはわからないが。